アメックスこと、アメリカン・エキスプレスは、歴史上有事の際に頼りになるサービスとして数々の国外脱出を手助けしたことをご存知でしょうか。
第二次世界大戦・天安門事件・更には東日本大震災に至るまで、様々な情勢不安に対応してきました。
今日は、過去の有事の際にアメックスがどのような動きを見せたのか、その伝統の歴史を辿ってみましょう。
第二次世界大戦
ナチスドイツによる侵入の危機が迫った際、ギリギリまで業務を続け、数多くの人命を救助したのだとか。
ヒットラーのドイツ軍が1938年にオーストリアを侵略・併合した時、アメリカン・エキスプレスは何千人もの人々の国外脱出を助けました。脱出を試みようとする家族連れが血眼になってウィーンのアメリカン・エキスプレスのオフィスに押しかけたため、社員は昼夜の別なくビザの習得から旅行の手配まで手伝ったのです。(中略)
アメリカン・エキスプレスのヨーロッパ中のオフィスはすでに侵入の脅威にさらされている国においてもぎりぎりの時点まで営業を続け、時にはアメリカ大使館や領事館が退去命令を出されて相当の時間が経過した後でも後でも営業を続けました。
出典:リード・マセンキル『アメリカン・エキスプレスの歩み 150年の歴史に見る変革とサービス』
天安門事件
1989年の天安門事件が起こった際にも、旅行者の国外脱出を手助けしたのだそうです。
1989年に恐怖の北京天安門事件が起きた時、中国の現地スタッフは、紛争時・天災時に頼りとなるアメリカン・エキスプレスの勇敢なサービスの伝統を守りました。(中略)
銃撃戦の合間を縫って裏口から抜け出し、ぴりぴりしている兵士のたむろする裏通りを自転車で駆け抜けて北京トロント・ホテルまで行き、旅行サービス業務を再開したのでした。
その後数日間、彼らは業務を続行し、砲火の的にもなったがら空きのホテルで寝て顧客の応対をしました。そこで、100人を超える旅行者が無事国外へ脱出できるように手助けしたのでした。重病の顧客の旅行小切手を現金化し、さらに病院まで付き添った例もありました。
出典:リード・マセンキル『アメリカン・エキスプレスの歩み 150年の歴史に見る変革とサービス』
東日本大震災
また、紛争や戦争でないながら、地震の際にも国内でこのような対応を行ったとあります。
地震発生直後、被災された地域のお客様一人ひとりのところへ、コールセンターの担当者が電話をしています。(中略)
「何かお困りのことはありませんか」と。それで、ご要望に応じて、トイレットペーパーやガソリンを入れる携行ボトル、それからランドセルなどをお届けしていました。(中略)
ランドセルを送る時に、自発的にぬいぐるみを添えていた社員もいました。きっと淋しいだろうからと。社員には常に、何か1つプラスでやるんだという、意識が強く働いているのでしょう。
出典:日経ビジネス『督促電話でも「感動体験」を追求するアメックス』
<http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131220/257385/>(2017年11月6日閲覧)
まとめ
このように、アメリカン・エキスプレス(アメックス)は、戦争・紛争・災害時に数多くのサポートを行ってきています。
日本ではあまり紛争・戦争といった事態に直面することは少ないですが、有事の際の為に何かと頼りになるカードとして保有するのもいいかもしれませんね。
参考文献
リード・マセンキル『アメリカン・エキスプレスの歩み 150年の歴史に見る変革とサービス』
日経ビジネス『督促電話でも「感動体験」を追求するアメックス』<http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131220/257385/>(2017年11月6日閲覧)